情緒、形式
前にも書いたように、私は今多くの人が唱える合理主義、論理主義に対して疑問がある。
かといって反米に走り、日本人が重んじる、形式、情緒たるものに身を捧げるつもりもない。
私は日本が大好きだ、というとウソになるが、
私は日本人で良かったと思う。
無宗教でいて無神論者でないところや、衣食の文化や、アジア人らしい身なりも、世界と比べると小数派でとっても気持ちが良い。これは田舎から出てきて、都会の人と比べて方言を持っているときに感じる優越感にとても似ていると思う。
京都出身の友人が面白い話をしてくれた。
日本文化の真髄は、人をもてなすということだ。
そしてそれを極めるためにお茶の作法や華道が生まれたと。
しかし、京都の欠点は、お客様にするべき作法を、隣近所や友人関係まで応用したところだという。
だから近所づきあいをとても慎重にする必要があり、とても重荷だと嘆いていた。
私はこの話を聞いて、アメリカの合理主義と同じことが日本で起きているなと感じた。
日本文化がもつ作法や考えは、人間関係を作るうえで重宝がられるものだが、どの次元の人間関係に用いるかで、自分自身の身に多大な負担を掛け兼ねない。
私の精神を病んでる友人を見ると、幼少期の親のプレッシャーから対人関係に多大に慎重になり、それがゆえに悪循環し、対人関係を築けないという人が多いように感じる。
国際化の中、アメリカの合理主義(実力主義ともいえるかもしれない?)を盲目的に信じ込んだ社会の期待を受け、かつ日本文化を捨て去ることができずにいる人が多く日本にいると思う。
論理的に考え、今考える中で最良の方向に、柔軟に自分を変えることも大事だと私は思う。
かといって反米に走り、日本人が重んじる、形式、情緒たるものに身を捧げるつもりもない。
私は日本が大好きだ、というとウソになるが、
私は日本人で良かったと思う。
無宗教でいて無神論者でないところや、衣食の文化や、アジア人らしい身なりも、世界と比べると小数派でとっても気持ちが良い。これは田舎から出てきて、都会の人と比べて方言を持っているときに感じる優越感にとても似ていると思う。
京都出身の友人が面白い話をしてくれた。
日本文化の真髄は、人をもてなすということだ。
そしてそれを極めるためにお茶の作法や華道が生まれたと。
しかし、京都の欠点は、お客様にするべき作法を、隣近所や友人関係まで応用したところだという。
だから近所づきあいをとても慎重にする必要があり、とても重荷だと嘆いていた。
私はこの話を聞いて、アメリカの合理主義と同じことが日本で起きているなと感じた。
日本文化がもつ作法や考えは、人間関係を作るうえで重宝がられるものだが、どの次元の人間関係に用いるかで、自分自身の身に多大な負担を掛け兼ねない。
私の精神を病んでる友人を見ると、幼少期の親のプレッシャーから対人関係に多大に慎重になり、それがゆえに悪循環し、対人関係を築けないという人が多いように感じる。
国際化の中、アメリカの合理主義(実力主義ともいえるかもしれない?)を盲目的に信じ込んだ社会の期待を受け、かつ日本文化を捨て去ることができずにいる人が多く日本にいると思う。
論理的に考え、今考える中で最良の方向に、柔軟に自分を変えることも大事だと私は思う。
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