Wednesday, November 15, 2006

無題

自分の意見がまだはっきりしない。

日本が一つの国家として独立するためには。。。

アメリカの核の傘下から独立し、独自の自衛力をもち、国際的な発言権を獲得していくか。
アメリカの核の傘下にあり、平和論を語っていくか。

日本が核を持たないというのは、ただの平和論なのだろうか。わたしはまた、アメリカ的な考えに洗脳されているのだろうか。わたしは、この国で教育を受け、自然に、唯一の被爆国として、戦争は二度と起こしてはいけないもの、核はないに越したことないこと、というに自然に考えるようになってきた。これは誰かによる洗脳だろうか。日本国の教育、文化の影響だろうか。それすら、はっきりしない。
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先日のテレビで、石原都知事が、現代の子供は弱くなったといっていた。戦後の日本国民と違って、困難に立ち向かう力がなくなっていると。「時代が違う。」「子供が携帯をもつ、インターネットの普及といった科学は後戻りできない。」と久米宏アナウンサーは言った。「石原都知事の時々におわせる、戦時中戦後に戻ろうというような、雰囲気が気に食わない」とも言いました。

わたしは、石原都知事が言ったようなようなことは、多くの人間が気づいていることだと思う。久米宏さんの意見もである。わたしは、その先を彼らに話してほしかった。

今、戦後60年の平和の時代に、その代償として、子供達、社会のありかたにひずみが出てきているなら、それを昔と比べるだけでなく、昔から学び、今の時代にあったやり方を、少なくとも現都知事の石原さんには触れていただきたかった。

わたしの拒食症の友人と触れていて感じる。科学がいかに進歩しても、それが有効なときと(これが科学が進歩した理由でもあるが)、有効でないときもある、と。どんなに精神安定剤があっても、拒食症の専門病院があっても、彼女が実際に足を運ぶまでは、身近な人の、忍耐強い支えが必要である。ものすごく自分の時間をとられる。しかしながら、わたしはできる限り、彼女に与えられるものがあれば、与えたいと思う。つまらない悩み、実際の病気の話、から時間があるときには聞いている。
それは、実は、わたしの拒食症という精神病の一つへの興味というのもあり、わたしがそのような患者に会う機会も、深く接する機会もめったにないという気持ちから、わたしをひきつけている。
わたしは彼女と接していて、得るものは多いと感じる。

人と有益な時間を過ごせたらいいなと思う。

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