Wednesday, February 15, 2006

子供の異変

今日テレビで「今子供があぶない」といった内容の番組をやっていた。

そういえば日本では学校内でしかも同級生同士が殺傷しあうなど、私が小学生のころには想像もできなかったような事件がおきている。残虐な殺人の低年齢化である。またその原因として、親という役割を果たせなくなっただらしない大人たちや、同様に無責任な教師たちがあげられていた。

石原都知事は知り合いの外国人ジャーナリストが渋谷でたむろしている青少年を取材して、髪や身なり(ファッション)はきちんと手入れされているのに、地べたに直接座るなどというマナーの低いことをすることにないし、世界でもっとも豊かで惨めな子供たちと題して記事を書いたそうだ。また、ニートという問題も日本では起こってきており、それも生活を援助してくれる親があり、ある程度の生活はできるが、自立ができないという、豊かな日本独特の欠点が指摘されていた。
そのテレビの中で言われていたのだが、殺人を起こした少年少女がよく言うことは、「殺した人が生き返ったら、謝りたい」だそうだ。これはゲームという非現実と現実の区別がまったくできていない証拠であり、やはり現代に象徴されるゲームが子供に与える影響の深さを物語っていると思う。人間がやってしまうことにリセットボタンはないのだ。

この番組は芸能人や現役の学校の先生、子供のかけこみ寺として働きかける住職、生活指導を行う先生、少年指導を行う団体の人たちなどが参加しており、実際に行っている活動に基づいた意見を交換していた。それぞれが強い信念を持っているがために衝突もしていた。もちろんこれといったすべてを一括するような答えを出すことを目的としたものではなく、日本全国にひとつでも有効なアイディアを提議することができればよいと司会者は言っていた。

幼児の異変に関する記事では、幼児が手のない自画像を書いたり、水玉模様の川を描いたり、白い画用紙にから揚げ一個の絵を描いたりするという事から、表現という点で今の子供たちに過去と比べて成長不良が見られている。また別の問題としてとても大人びた会話をすることができる子供もいるということである。このような幼児の能力の二極化は、集団で遊ぶことが減り、家で個人が努力により教育を受ける機会が増えたことが要因となっている。幼児教育の発展から、今では英語教育から右脳開発教育までさまざまなことを子供に与えることもできる。私はこれらのことは悪くはないと思うが、やはり、幼少期にお稽古事をした子供と真っ黒になるまで遊んだ子供では、大きくなってからの伸びが違うという。

親が子供をどう育てたいかは、その親の個人的な経験に基づいていると思う。

私は、自分がそう育てられたように、性格的に欠点はあっても、精神的弱者にはならないように、自分の子供を育てたいと思った。

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