Monday, January 09, 2006

夏目漱石

Will君の影響で、「夏目漱石が面白いほどわかる本」という本を、日本に着いてすぐ読んでみた。

 夏目漱石という日本の旧千円札の顔としても有名な日本を代表する作家は、実際のところ名前とその作品名のみが、日本人の多くの人生のなかを一人歩きしているといっても過言じゃないと思う。外国人に指摘されて始めて、どんなに自分がそこまで自分の国で誇れるものに気を止めないで生きてきたかがよくわかった。

 この本をチラッと読んだだけで、夏目漱石がどんなアンビリーバブルな、そして芸術家らしいストレスフルな人生を送っていたかがわかる。そして読み進めていくと、夏目漱石が自分の作品で何が主題として言いたかったのかが、少しずつわかっていった。

 夏目漱石は養子に出され、あまり良い幼少時代を送らなかった。ロンドン留学時代にノイローゼや胃潰瘍による吐血などを、その後の人生でも繰り返し、晩年の10年という短い年月を執筆活動で過ごしてしていく。
 自分の幼少期の影響から、自分はどこからきて、いったい何者なのかという疑問や、どうやっても理解できない人間同士がそれでも愛し合っていくといった、人間の根底に迫る問題が夏目漱石の文学の根底に主題として存在していくようになる。人間というものはいつもは善人なのに肝心なときになって悪人となる、人間というものはどうしても理解しあうことができない、人間というものは自分の人生を左右する瞬間を自分で決めることができないなど、現代にも通ずる問題である。
 そして夏目漱石の文学の根底にあるもうひとつは、明治という時代特有の考え方である。漱石が生きた明治から大正の時代には、日本の開国による西洋文化の到来、日清戦争と日露戦争という二つの戦争、明治時代の終焉(明治天皇の崩御)などがあった。ここで明治の知識人たち、かつては武士階級であり、日本の藩、家といった集団に仕えることに重きを置き日本を動かし、日本の未来を考えてきた人たちは、西洋に追いつこうと必死に進歩を遂げる日本の成長が、西洋の模倣でしかないむなしさを理解しており、また封建制度なうすれつつある時代の中で、自我を見つけていくことに苦悩している。
 この明治の知識人たち誰もが抱いていた、人間とは何なのかというものを文学作品として残したのが、明治時代の作家である。そのなかで、人間の感情をしっかりと頭でとらえ文章にするのに長けていたのが、夏目漱石なのである。

 この本は出口ひろしという現代文の先生が書いたもので、あくまで漱石文学のアウトラインとして書かれている。今度は、自分に彼の文学世界がわかるか、楽しめるか実際彼の作品を読んで見たいと思った。高校の教科書に「こころ」がでできたときに、学校の先生が明治という、現代と異なる時代の面白さ、また変わらない人間のテーマについて説明してくれたなら、彼の作品を煙たがらずにもっと興味をもてたのにとくやしく思った。
 また、「時代」によって人の考えはこんなにも変わるのかということを歴史の年号を覚えていたころにはわからなかったことが、皮肉に思えてならない。私たちは現代に生きているから、「現代」しかないように思われるが、過去の時代を理解する努力は簡単にできると思う。もしかしたら、過去の時代が、社会の教科書の一ページにしか存在しないというような価値しかないから、今の日本が巻き込まれるかもしれない戦争の恐ろしさを理解できないのかもしれない。

2 Comments:

Blogger *fumiko* said...

へ~、陽ちゃんってこんな書き方するんだね。ちゃんとしててちょっとびっくり。
今度とはそれを英語で書いてみては?
自分の言葉を訳すのは結構簡単だとおもうよ。
夏目漱石の事、勉強になりました。
姉ちゃん

11:04 AM  
Blogger yoko said...

あたしも夏目漱石の過去にびっくりだよ。ほほほ~えらそうな文だね、今見直すと。

あ、Writingもみなおしてくれてありがとう。あたしのちゃっちぃ英語から言いたいことを変えずにうまくきれいな英語でかいてくれて…(涙)本を読んでるみたいでした。これがflowね!アハッ!

暇がある時でいいから、またどうぞよろしく。

5:10 PM  

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